広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

今、10年ぶりに故郷の名古屋に住民票を戻して名古屋に住んでいます。こうして久しぶりに住んでみて色々思うことがあるので今日は名古屋について書いてみようと思います。

 

私の実家は戸建なのですが、ターミナル駅である名古屋駅から徒歩10分という何かと便利なロケーションです。基本の移動は自転車かバス、少し遠出する場合は地下鉄を利用。最寄駅に新幹線も停まるし、国際空港までも1本。一応車も家にはあり、免許も取りましたが、完全なペーパードライバー。名古屋というと車社会のイメージがあるかもしれませんが、私にとっては車が無くても毎日の生活において不便はありませんでした。

名古屋駅には駅ビルやデパートが集結していて、地下街にはカジュアルなお店がたくさんあり、買い物には全く困りません。とりわけ近頃は駅前の再開発も進んで、ピカピカのハイブランドが並ぶ商業ビルや高層オフィスビルが立ち並んでいます。

思い返せば、私は小さい頃から名古屋駅が自分の庭でした。6歳の頃から自転車で、当時名鉄にあったキディランドで文房具を買ったり、10歳ごろには近鉄ビルのHMVで好きなアーティストの中古CDを買ったりしていました。それぞれのビルの構造(連絡通路が何階にあるかなども含め!)や各フロアの店舗マップ、入り組んだ地下街の最短経路など、中学高校の頃には完全に頭に入っていたのです。

たぶん、これこそが私が「街っ子」(英語だと恥ずかしいがcity girl) といわれる所以なのだと思います。名古屋なんて東京と比べれば小さな小さな地方都市なのですが、(とは言っても、最近の名古屋駅は開発すごいからここは見くびらないでほしい笑。) ここでこういうふうに育ってきたことが、私のスタンダードの価値観や生活スタイルを形成しているのだろうと思います。私は、外に住んでみたことで初めて、生まれた土地の便利さに気づくことが出来ました。ここ10年間、名古屋、ニューヨーク、東京(品川区、中央区江東区)、シンガポールの4都市8箇所に住んできての結論は、結局実家が一番便利!ということでした。笑。当然っちゃ当然ですが、私は生まれてから四半世紀、ずっと名古屋に住んできたので、この街にあるものだけで暮らせる体になっているためです。そもそもこの街にあるものの中で選んで好きになってきたという言い方が正しいかもしれません。

例えばインテリア雑貨を買いにいきたいとして。思い浮かぶのは、ACTUSとかザラホーム、Francfranc辺りでしょうか。どれももちろん最寄駅にあります。ニトリや無印、ハンズだってもちろんあります。しかしながら、東京に住んでた頃はザラホームに行くのにまずは地下鉄で青山まで行かなければなりませんでした。オサレタウン青山。。。もうそうなったらそれは買い物というより立派なお出かけです。。。さらにそこでお目当てが見つからなかった場合は、また移動しないといけません。きっと東京には探せばめちゃくちゃ高感度なセレクトショップとかもあるのでしょうが、私にとって丁度良いのはせいぜいザラホームかACTUS辺りのチェーン店なので。とはいえ行く頻度の低いザラホームのために青山に住むという選択肢は無いですし。うーん。

例えばスタバに行きたいとして。名古屋駅にはたぶん5店舗以上はあると思います。(今ググったら名古屋駅前には11店舗ありました。) でも、前述の東京の私の住んでいた近所にはありませんでした。おそらく探せばめちゃくちゃこだわりのサードウェーブコーヒー的なシャレオツカフェもたくさんあるのでしょうが、私は結局スタバで満足できてしまう人なのです。だからといって徒歩圏内には無かったりする。そうなると電車に乗ってまで買いに行くものでもないよね!?となってしまうのです。ちなみにニューヨークやシンガポールで住んだ部屋の側にはありました。というかスタバスタバって、グローバリズムに汚染されてる私、でも認めるしかない事実。世界中どこにいてもやっぱりスタバが安心するんだもの。ま、これはスタバのある街を選んで住めば解決する話かな笑。(でも、考えなくてもスタバくらいはどこにでもあってほしいんだ!って思ってしまうところが♪育ってきた環境が〜のセロリ問題勃発要因なんでしょうね。きっと。)

例えばあなたが海外旅行に行った時、馴染みの和食が食べたいのに無くて不便に思った、という経験があると思います。ロジックは同じで、不便に思うのは、馴染みのものが近くに無いからです。個人的感覚ですが、30代を過ぎて人の好みや価値観は劇的には変わらないと思います。変えようという意志を持ってライフスタイルを変えることはもちろん往々にしてあります。そしてそれに順応する態勢はそこそこ人間には備わっていることも理解していますが。順応するには最初は特に大きなストレスがかかります。海外経験をした人ならよくわかってもらえると思います。このストレスのかからなさこそが、便利、住みやすい、と思わせてるのに他ならないのです。つまり、人が「便利」「住みやすい」と思う判断基準は、住み慣れた故郷とのギャップがいかに小さいか、だけなんじゃないかという理論が私の中に浮上しました。

故郷最強説。ってことですね。だから私が名古屋が住みやすいってのは当然で、逆に東京出身者からしたら、「欲しいもの(東京にしか無いショップの何か)が手に入らない」っていうストレスにもなるわけで。もっと田舎で育った人なら、「身近に美しい自然が無い」ことや「人が多い」ことがストレスにもなるわけで。だから、育ってきた環境の異なる人に、「おすすめの住みやすい街」なんて聞いても無意味ってことですね。千差万別なので。

 

余談ですが、私の小さい頃は駅のガード下の自転車置き場にたくさんのホームレスが段ボールを連ねて生活していました。各ホームレスの居住空間のすき間に「お邪魔しますね」という感じで自転車を停めさせてもらってました。面白いことに子どもだった私はそれに対して一切何の感情も持っていなかったことを覚えています。もしかしたら、そういう風景も当たり前だったので、ホームレス大国ニューヨークにも簡単に順応できたのかもしれません。それに駅前で色々なキャッチの人が若い女の子にポケットティッシュを配っていたので、一度駅前を歩けば5〜10個はもらえました。なのでポケットティッシュはガチで買ったことがありませんでした。というか、配られても断るのが世間の常識なのかもしれませんが、それをなんのてらいもなく受け取れる感覚こそが、ひょっとしたら名古屋駅に生まれ育った感覚なのかもしれません。(※個人差有り笑) 通学路にソープランドもあったりして、朝、店先を掃除しているタキシード姿のお兄さんに挨拶をすることが日課だったり。こうした雑多な多様性の中に住んでいると、自分と異なるもの(この場合ホームレス、キャッチ、風俗など)を排他しようとするのではなく、異なるものとして割り切って共存していく力が育まれるのだなと私は思います。また、彼らとの距離感の取り方も覚えます。ポケットティッシュはもらうけど、ティッシュに入っている風俗の募集広告は読まない、とかね、当たり前だけど、こういうリテラシーが子どもの頃から自然に身につくということです。ホームレスとも挨拶以上は踏み込まない、とかね。よそはよそ、うちはうち。それぞれ生きてるけど他人と私は違う。小さい頃からのこうした価値観の形成が、いわゆるドライな冷たい感覚と表現されてしまうことものあるのだけれど、この冷たさには、色々なものを排他せずに受け入れる温かさを内包しているような気もします。自分とは違うものを理解できないから排除するのではなくて、違うもの同士距離感を測って生きていく。それが全てかなと思います。考えてみれば海外でのルームシェア経験もまさにそれでした。見た目も出身も文化も肌の色も言葉も違う人たちとのルームシェアが一般的な大都市では居住者同士お互いに距離の取り方をわかっているので無駄な隣人トラブルも起きなかったです。友人と住んだ場合を除いて、私もただのルームメイトとは「顔見知りの隣人」くらいの間柄でした。これは都市を生き抜くための一種のサバイバル力なのかもしれないなと今改めて合点がいきました。

話がずいぶん逸れましたが、ここまで書いて、読んでくださったみなさんは私が名古屋ラブ!なのだと感じられたかもしれません。でも、それはちょっと違っていて。あくまでも「便利さ」を切り取った場合、ストレスの無い地元が優勝するという話で、そこに文化、仕事、コミュニティ、憧れ、など、様々なファクターが追加されるとまた別の話なんですよね。。駅の周りは便利で好きですが、文化的には名古屋は昔からよそ者を受け入れにくい文化が根付いている恐るべきコンサバ王国で、私にとっては窮屈さもあります。経済的には大都市の一つであるはずなのに、未だに「大いなる田舎」と揶揄されるのもそうした文化的背景が影響しているのだと思われます。ニューヨークも東京もシンガポールも名古屋も、それぞれ個性があって、どこかがパーフェクト、パラダイスっていうのは結局無いんですよね。(悟りモード)

みんな違って、みんないい。みつを。

 

こんなことばかりを考えて、タイトルの小沢健二の歌詞の通り、次に住む都市の地下鉄マップと睨めっこをする今日この頃です。

次の街は、実は、決まっています。長くなり過ぎたのでそれはまた次回。

おしまい!