アジアの純真

シンガポール生活2日目、気付いたことや感じたことをほとんど熟考せずに垂れ流していきたいと思います。

 

シンガポール人は愛想が良い?悪い?

→なぜこんなことを考え出したかというと、まだ滞在2日ですが、あれ?思ってた反応と違うな?みたいな違和感を覚えたから。

愛想が良いのか悪いのか、まだよくわからないのだけれど、これまでのところ、めちゃくちゃ愛想がいいな!って感じはしない。だから欧米的なノリで接すると、肩透かしくらうかも。

お店でHi lady :) みたいな慣習的な声掛けもなければ、無駄に天気の話とかも向こうからはしない。(外人ってみんなスモールトークするものだと思ってた笑)いつも海外のタクシー乗ると、運ちゃんとゲートウェイ的なおしゃべりを楽しむことにしているので、私の方から「私日本から引っ越して来たの!」と広げ方の難易度ゼロの話題を振ってみたものの、特に盛り上がらず終了。おやおや?と、到着早々少し引っかかる。

もっと言うならアメリカでは、知らない人とは誰とでもかるーく喋るのがマナー。エレベーターの中、タクシー、電車待ち時間、などなど。もしもあなたが、通りすがりの他人の靴が素敵だと思って、その気持ちを伝えたかったら、横断歩道渡りながらでも、すれ違いざまにI like your shoes <3 と伝えればOK。日本でやったら変人扱いだけど。そういえば去年ハワイに行ったときなんて帰りのタクシーで、私の恋バナから空港着く頃には運ちゃんの直近のワンナイトスタンドの暴露話にまで発展したな笑。

で、思ったのが、シンガポールは欧米ではない!ってこと。(いや、知ってたよ!)知ってた、それは知ってたんですけど、言語が英語という完全に欧米化されたものを使ってるだけに、脳が勘違いしちゃう。シンガポールはただただ言語政策として英語を公用語にしたってだけだもんね。(ネイティブがいないのに公用語としちゃう大胆さよ!)ここは言語と文化が直接結びついてない希少な国なのだ!とシンガポールで2日過ごして目から鱗が落ちた。都市と文化はもちろん密接なので、英語圏とは異なる文化として成立しているのだけれど、言語と文化は分離しているのだね。あーなるほど、それで言葉は「シングリッシュ」か。と、ふりだしに戻って合点がいった。「イングリッシュの訛り言葉」とは呼ばないことで、欧米文化とは特に紐づいてませんよーって言う隠喩が込められてたりして。宗教と民族を結びつけて考えがちなのと一緒で、言語と文化も一緒くたにしてた自分。

国づくりのお手本は日本だったって聞くけれど、話を少し飛躍させて日本の公用語がもし英語になったら!って想像したら、きっと同じこと、いやそれ以上の次元の捻れが起こっちゃうだろうなーと笑えた。日常生活のコミュニケーションまではそりゃ変わらないわ。元号発表さながらに、今日から新公用語は「英語」ですって発表されたその日から突然、街中のみんなが通りすがりの人々とフレンドリーに話し出したら面白いな。欧米と対極にある和を尊ぶ文化のままなのだから、コミュニケーションの捻れは必ず起こるでしょうね。イエス、ノーの中間の言葉が開発されたりして。そうなったらやっぱりいくら英語と一緒でも別の文化に紐づいた別の言語と言わざるを得ないな。

と、日本で例えたらとても理解しやすくなった!

異常に長くなってしまったけど、もう一つ愛想の良し悪しについて気付いたことがあって。これもよく考えれば単純で当然のことなんだけど、ここシンガポールでは私はアジア人であること、外人であることの特権が使えない、ということ。(いや、知ってたよ!)ニューヨークにいた時は、童顔で小さなアジア人と言うだけで、他人は必ず優しかったし、なんならワガママもそれなりに通ってた気がする。マイノリティであることを逆手に取るいわゆる”ガイジン特権”濫用。(女性である弱みを活用するのと似てる。やりすぎは禁物。)それがシンガポールだと、むしろ私、一見マジョリティ中のマジョリティ。外見だけで言えばど真ん中ストレートくらい現地感キマッてる私。笑

フィナンシャルディストリクトで働く女性たちの格好、8割ワンピースです。老いも若きもワンピース。しかも日本のそれとは違い、ボディコンシャスなのとかアブストラクトなカラフルな柄のとかなの。私の日本から持って来た服そのまま現地の服じゃん!って驚いた。サイズ感や顔立ちも似たようなものだし、多分彼らの中にしれっと混じっても画だけ見たらバレない自信ある。

で、何が言いたいかと言うと、人間の愛想というのはきっと、異なるものや外のものに対して生まれやすいものなんじゃないかってこと。つまり、私の見た目じゃ、シンガポーリアンからはデフォルト対応しか受けられず、さらにそのデフォルト対応が、想像していたアメリカのそれより随分あっさり塩味であるために、私は余計戸惑ってしまったのかもしれない。そう考えると、欧米では区別されてもてはやされるという類の”逆差別”を受けてたのかもね?そういう”自分たちとは違う”という無意識が、形となってアウトプットされているのが「愛想」というものなのかもしれない。愛想は異文化に対するバロメーターって考えると面白い。相手の愛想が良ければ良いほど、自分とは違う人って思われてることになるね笑。流石にダイバースすぎるニューヨークじゃその感じもさほどなかったけど、まだまだホモジナスな日本で考えると、確かに旅行客にはホスピタリティ満点の神対応だけど、気に入って住みだすと外に追い出そうとする。日本は「内」と「外」を極端に分けたがる村文化なのでこれはこれで仕方ないのだけど。

あれ、最後日本の話になってしまった。

 

。。。そんなこんなで、私はシンガポール生活2日目にして、この地でしぶしぶガイジン特権を封印して、今日もワンピースを着て、日本グリッシュを駆使しながら、 One Asiaの一員として生きていく心構えを持ったのでした。おしまい!